『五等分の花嫁』ついに完結!! とにかく最高すぎるラブコメでした。
でも「四葉エンド」に関しては、四葉推し以外のガチ恋勢による阿鼻叫喚がTwitterに溢れ、ラストの展開から夢オチを期待している人も少なくない。
そんなガチ恋勢の願いもあり「結婚式までの伏線」を検証や考察している人が多いけど、僕が『五等分の花嫁』で一番疑問に思っていること、それは
この作品にとって「五月とはどんな存在だったのか?」ということ。
序盤、特に一話の登場だけ見れば文句なしで正ヒロインど本命だった五月。
他の姉妹が風太郎に想いを寄せるなか、最後の最後まで風太郎への恋心を自覚する事なく、唯一キスをする事なく最終回を迎えた五月。
誰しもが本命だと睨んでいた五月はどうしてこんな結末を迎えたのか、そして五月とは『五等分の花嫁』にとってどんなキャラだったのかを考察したい。
五月というキャラの役割
まず作品上において五月が担当していた一番重要な役割は、
「五月が本命ヒロインであり、思い出の少女(零奈)なのでは?」
と、読者をミスリードさせる役割。
序盤からことあるごとに風太郎と衝突し、それでいて徐々にお互いを認め合っていく姿は、ラブコメの相場で言えば絶対に正ヒロインポジション。
匂わせ全開のプリクラ撮影。(まぁ結果的には家族写真ではあるわけですが)
五月は正ヒロインの座を匂わすことで、本当の正ヒロインである四葉を隠す役割があったのは間違いないでしょう。
そして『五等分の花嫁』のストーリーの核心は
「誰が花嫁になるのか?」
と
「誰が思い出の少女なのか?」
の二点。
この「思い出の少女」においても、五月は偽零奈になってまで四葉が思い出の少女であることを読者に悟られないための隠れ蓑としての役割をこなしています。
つまり、
こういう展開だと思わせておいて、
本当はこうなわけです。
ちなみに当て馬というのは本命と比較しているだけですよ。
悪い意味ではないのでガチ恋勢の方、お願いですから石を投げるのはやめてください!
こう考えると、五月はいつもストーリーを展開させていたことがわかります。
林間学校では一花に変装して風太郎の人間性・感情を探り、
家族旅行では全員が五月に変装するというある種、身を挺してまで他の姉妹たちの恋愛模様を表現し、
修学旅行においては、「思い出の少女」の正体が四葉であることを風太郎に示唆し、最終的に四葉を恋愛の舞台に引っ張り出します。
各話で一花・二乃・三玖が必死になって自分をアピールしているなか、五月はいつも風太郎と姉妹の物語を進行させるために動き続けました。
ちなみにこれは四葉にも同じことが言えますが、四葉は物語のため、というより風太郎のために動いていたように感じます。
五月は捨てヒロイン?
では五月は単なる物語の司会進行役、つまり4人のヒロインを引き立たせるための捨てヒロインだったのでしょうか?
一般的なラブコメ目線で考えれば、五月はあまりにも不遇なポジション。
四葉のように最後に正ヒロインになるわけでも、一花・二乃・三玖のようにはっきりとした恋愛の見せ場があるわけでもありません。
はっきり言っちゃうと、五月は一番おいしくない映えないヒロインです。
ラブコメ漫画における一番の見所のキスはもちろん、恋心を打ち明けることすらしていないわけですから。
五月推しの人からしたら、溜め続けてた「風太郎への恋心」がいつ披露されるのかと期待していたのに、結局それを活かすことなく終わってしまいガッカリした方も多いのでは。
五月は他の姉妹と比べても特別感(いわば正ヒロイン感)のあったヒロインだったのに、恋の描写がほぼないまま物語を終えるという、ヒロインとしては異様であり、その特殊性が五月というキャラクターを謎に包んでいる理由だと思います。
五月の恋について
ではなぜ五月だけが風太郎に恋心を打ち明けなかったのか、あるいは春場ねぎ先生はどうして五月にそうさせなかったのでしょうか。
その理由の一つは、五月には「四葉の隠れ蓑」であり「物語の進行役」としての機能があったので、最後の最後まで恋の最前線に参入することができなかったこと。
五月を一花・二乃・三玖のように恋愛させるためには、四葉の隠れ蓑である必要がなくなった修学旅行後になるわけですが、物語は既に終盤。
ゴールにむけて四葉との恋愛を描かないといけない状況の中で、そこから五月を他の姉妹と同じように恋愛させるのは展開的にかなり困難だったと思われます。
もし修学旅行後に五月のラブコメとしての見所を作るには、
「思い出の少女は実は五月だった」
くらいのインパクトがあるべきですが、五月は思い出の少女ではありません。
もちろん、
「みんなを応援したいけど、やっぱり私も上杉君のこと…」
なんて展開も出来なくはないでしょうが、ゴールが四葉で決まっている以上、それは他姉妹の「恋の焼き回し」であり、蛇足感は否めません。
それこそ「五月は最後まで進行を頑張ってくれたし、見所くらい作るか…」なんて展開は完全な捨てヒロインでしょう。
だからこそ五月は、そして春場ねぎ先生は五月にあえて恋をさせず、
「五月にしかできない恋」を演出する方向に舵を切ったのでは。
五月だけの恋、それは「喪失感で初めて知った恋心」と「報われなかった恋の価値」を知ること。
それこそが五月というキャラをただの捨てヒロインにせず、五月の個性になると春場ねぎ先生は考えたのではないでしょうか。
つまり、五月が「映えないラブコメヒロイン」になってしまったのは、むしろ春場ねぎ先生の「五月というキャラへの愛情」ゆえだったのかなと思うのです。
五月からみる『五等分の花嫁』
結果だけを見れば「一番地味なヒロイン」となってしまった五月。
でも作中において重要な役割を担い、作品のアイコンとして存在し続けた五月は、
「五等分の花嫁の面白さを影で支え続けたヒロイン」
だったと思います。
「なんだかんだあってラストは五月が花嫁なんでしょ?」
なんて王道展開であることを読者に予感させつつ、風太郎への想いをひた隠していた四葉に正ヒロインのバトンを渡した五月。
それは決してただの捨てヒロインではなく、五つ子の中でも特別感のある存在だったと言えるのではないでしょうか。
とまぁ長々と五月について考察してみましたが、みなさんはどうお考えでしょうか。
ぜひブログのコメント欄や僕のTwitter宛に教えていただけると嬉しいです。
ーーー
※掲載している画像は『五等分の花嫁』 著:春場ねぎ より引用しています。