漫画家、福本伸行は死んだ!!
ギレン・サビのごとく、そう高らかに宣言するファンが誕生してしまったカイジ「ワン・ポーカー編」。Amazon評価はとんでもないことに。
ネタレビューも混じってるとはいえ、この低評価は流石に異常。
逆にレビューとして信憑性がないレベル。
「詐欺」
「漫画ではなく、617円のゴミ」
「福本伸行は焼き土下座して全読者に謝罪しろ」
などとレビューは大荒れの荒れ。カイジファンの暴徒化である。
これはいけない。暴徒化したファンを鎮めるためにも、彼らの主張を拾いながらワン・ポーカー編を考察していこう。
①ワン・ポーカー、とにかく長い。
いの一番に挙がる批判はやっぱりこれ。
とにかく長い、くどい、展開が遅い。Amazonレビューのほとんどはこの手の批判。
実際ワンポーカー編は引き伸ばしとも取られかねない心理描写・演出がふんだんに盛り込まれており、一巻丸々使っても1ゲームの決着がつかないような展開もザラ。
ここはUP・・・!いや!だからこそDOWNカードでレイズすればドロップさせられる・・・!
いやそう相手も思ってるからこそUPだ! ぐっ、いや止まれ・・・!そういえばさっきのカードは・・・?
ぐっ・・・! どっちだ・・・どっちなんだ・・・? ぐにゃあ・・・
なんて延々こんなことやってるだけの漫画だと言われれば、まるっきり間違った説明でもない。
しかしこの手の引き伸ばしは福本ファンならある種慣れっこなはず。(これが福本漫画の味でもある)
なのにどうしてこれほど否定されているのか。その理由は今回のシリーズ巻数と、過去のカイジシリーズとの比較にある。
カイジシリーズのほとんどは13巻構成だが、この「ワンポーカー編」は16巻構成。そして1種類のゲームだけでシリーズを終えたのは『賭博堕天録』の17歩編のみだった。今回も一つのゲームだけでありながら、それを3巻も超えてきた。
「ワンポーカー編」は単純にどのシリーズ・どのゲームよりもずっと長いのだ。
そして批判される最大の原因は悲しいかな、過去の作品との対比にある。
否定派の意見を簡潔に言えば、
Eカードと比較して長すぎるだろ。
ということに尽きる。
カイジファンにとって『賭博黙示録』のEカードはもはや伝説。カイジが好きでEカード嫌いな奴なんて存在しない。
もし万が一、いや億が一嫌いという奴がいるなら、二度とカイジという言葉を口にするな。お前の人生にはカイジは必要ない。
このEカード、ゲーム自体の面白さや背景の素晴らしさもさることながら、カイジの命を賭して成し得た逆転劇、そして仇役である利根川の意地の焼き土下座までが、なんと3巻半で収まっている。
あの内容がたった3巻半!! どんなに還元したってあり得ないほどの濃縮具合。ジャパネットの利益還元祭でこれやったら、注文した客に逆に金あげてるレベル。
ワン・ポーカーは1対1のタイマン勝負、カードを用いた戦いであること、裏のかきあい、策謀、心理戦など、ゲームの性質がEカードとかなり似通っており、どうしたって比較対象になってしまう。
Eカードの素晴らしさは『賭博黙示録』の全編通した流れを含めた良さであり、一概に比較できるものではないが、ワン・ポーカーの方が分が悪いのは事実だ。
②しょーもない結末にがっかり。
過去作と比べて顕著なのは作品の間延び感だけではなく、結末の出来栄えが見劣りする点も多くの批判を招いた。
前作「和也編」のオチも、ゲーム面だけを切り取れば、裏切った光山の一人勝ちというなんとも消化不良のエンディングだっただけに、和也との直接対決であるワン・ポーカーのラストには大きな期待が寄せられていた。
「ワン・ポーカー編」では和也との勝負に勝利したカイジに待っていたのは、皮肉にも敵である和也の命を救出するというラスト。
今にも落下寸前の和也は一体どうなる!?
カイジの考えた救出方法とは・・・!?
引用:賭博堕天録カイジ
まさかのブルーシートおにぎり作戦。
引用:賭博堕天録カイジ
具は和也。
落下する和也を救うため、ブルーシートで作ったおにぎりによって和也を優しく包み込むという決死の大作戦。
いやしかし、いくらふんわり包んだお米(アジア3ヶ国ブレンド米)でもさすがに超高度から落下する具(和也)の衝撃を受け止めきれるか!?
引用:賭博堕天録カイジ
フワって…あれ、なんかで見たことあるな?
飛行石持ったシータ以外は許されない物理法則により、和也無事生還・・・!!
・・・ってあのさぁ、なんなのこの救出方法?
具(和也)が真ん中に収まらなかったらどうするつもりだったわけ?
お米も具も絶対粉砕してたでしょ。
カイジ自身も自分が負けて落下しそうになった際「物理の法則なんてしらね・・! 知ったこっちゃねぇ!」と嘯いてましたが、まさに「シリーズのオチなんてしらね・・!」と言わんばかりのオチ。
これには流石の福本信者のオレもがっかりである。
ただこのラピュタ落ちとは裏腹に、ゲーム自体の決着は決して悪くない。
イカサマの裏をかいて勝利をものにしたカイジのギャンブル力、まさかの勝負前に自身のカードの数字を宣言するというカイジの行動、そして敵である和也の心理描写。どんなに長いくどいと否定されてもこれらのシーンは非常にうまく描けていた。
ただ、限定じゃんけん、Eカード、チンチロ、沼で魅せられたあの恍惚なゲームの勝利と気持ちのいい幕引き。あの快感が脳髄に染み付いてる人間からすると、どうしてもこの天空の城ラピュタならぬ、オニギリの上カズヤのオチは物足りないものではあった。
③和也のイカサマ
そしてワン・ポーカー編で最も根深く、作品の質そのものに直結する批判は
「和也のイカサマをどう捉えるか?」問題である。
話が長い・オチが微妙の二つの批判には、「長くても面白けりゃいいじゃん」だったり、「最後のオチは微妙だったけど、ゲームは面白かったじゃん」だったり、いろいろと捉えようはあるわけで、作品の根幹を揺るがす批判ではない。
しかし、和也のイカサマを許せないカイジファンからすると、「ワン・ポーカー編」は全否定だろう。
確かに和也は最初からガチの勝負を求めていた。ゲーム開始前にも、和也自身の口で、
オレは今夜
人生を賭けたい!
カイジとオレの人生を賭けたい!
引用:賭博堕天録カイジ
と言っていることからも、読者は当然イカサマなしのガチンコ勝負だと信じ込んでいた。和也というキャラ的にもイカサマはしないだろうという認識が読者にはあった。
まぁ和也は「和也編」において、救出ゲームに既に介入はしているのだが、そこには和也なりの信念があってのことであり、今回のゲームにおいてはガチにこだわるだろうと思われていた。
※和也編の考察はこちらから。
その和也がしでかしたイカサマは、つまらない派からすれば今までのストーリーそのものをぶち壊されたも同然の行為だった。
あれだけガチだと言っておいて、イカサマしちゃったら、今までのストーリーはなんだったのか、もっといえば和也というキャラがブレてしまっている!!こんなんじゃ話にならない!!というのが否定派の意見である。
このイカサマに関しては、非常に評価が難しい部分だが、まず一考に値するのは、
仮にイカサマなしのガチンコ勝負だったら、ワン・ポーカー編はもっと面白かったのか?
という点だろう。
今回のワン・ポーカー編は和也のイカサマに気づいたカイジが、そのイカサマを裏の裏まで見切ったことで主導権を持つ和也に勝利するという、まさにカイジらしい直感・ひらめきを利用した勝利だった。
もしこのイカサマがなければ、それこそ否定派が最も忌み嫌っていた無駄に長い裏のかきあい・読み合いが延々と発生し続けるだけのただのギャンブル漫画になっていただろう。
そして和也というキャラクター性に関して言えば、イカサマをしたことで和也のキャラクター性がブレたのではなく、むしろあの場面でイカサマをすることに和也というキャラクターの本質が描かれてたとも言える。
和也が真剣な勝負を行うことでしか生の渇望を癒すことができず、ガチの勝負を求めていたことは確かだ。
しかしそれと同時に自分が勝負に負けることは絶対に許されないし、許せない。
なぜなら和也にとって負けることは自分の正しさ・真実が否定されるのと同義だからだ。それは「和也編」における「愛よりも剣」・「救出」といったゲームへの執着からも見て取れる。
真剣に勝負はしたいが、勝負には絶対に負けたくない。
この相反する矛盾した感情こそが和也という人間の本質だ。
そんな和也が生み出したゲームであるワン・ポーカーにおいて、和也がイカサマを用意しないのはあり得ない。
和也は勝負中にカイジのことを「自分の都合のいいことしか考えてこなかったクズ」と評したが、それは和也も同じで、自分が負けることなどありえないと思っている。
しかしそれでも万が一、もし自分が負けるような危機に陥る可能性、いわばイレギュラーには遭遇するかもしれないとは考えただろう。
自分の愛する母をなぞらえ、マザー・ソフィーと名付けた機械で自分が負けること絶対に許されない。
マザー・ソフィーの寵愛を受けるのは必ず自分でなければならない以上、イレギュラーに対応するための準備は必須であり、機械にイカサマを設置するのは当然の判断だっただろう。
さらに今回のゲームは和也にしてみれば、一度は勝っているはずの勝負だった。
自分が認めた特例とはいえ、チャンとマリオの命をライフとして再勝負をしている最中に起こった苦戦はまさにイレギュラーだったに違いない。
真剣勝負を望んでいた和也にとってもこれ以上の敗北は危険と判断し、不本意ではあるがイカサマの使用を決意したのだろう。
改めて和也の人間性を考えればイカサマの設置・使用は納得できる行為であり、むしろ一切イカサマをせず、敗北覚悟でヒラの真剣勝負を挑むほうが返って和也のキャラクター像に反していると言える。
もし和也がイカサマなしの真剣勝負でカイジに打ち勝つことを本当に望んだとしたら、もはやそれは同じ福本伸行が描く漫画『天』に登場する天と原田の「二人麻雀」のような思想と世界観だ。
それは利益云々ではなく、ただどちらが強いかを決めるために行われるギャンブルを超えた男と男の尊い勝負の世界。和也はそこまでの思想にはとても到達できてはいなかったし、だからこそカイジはその姿をみて、和也を「哀れ」と形容した。
このゲームにおいてイカサマが発生するのは、カイジという作品から見ても、和也というキャラクターから見ても自然な着地点だったと個人的には思う。
ワン・ポーカー編とはなんだったのか?
批判の多いワン・ポーカー編ですが、その中には非常に魅力的な瞬間が散りばめられていたのも事実。カイジ・チャン・マリオ、いわば持たざる者たちが己の命を賭けて人生に立ち向かい、絶対強者に勝つストーリー、それがワン・ポーカー編だ。
そして「和也編」・「ワン・ポーカー編」とシリーズ最長の仇役として登場した和也は、カイジ作品にしては珍しく「純粋さ」を持ち合わせていた敵キャラクターだった。
生まれた瞬間から決まっていた勝者ゆえの孤独。その孤独を否定するために他者を拒み続けた和也が敗れたのは、どれだけ裏切られても人を信じ、想うことを止められない男、カイジだった。
全てをもつ和也が唯一手に入れることができなかったもの、それが今回のゲームの勝敗を決定づけた。
和也
お前は寂しかったんだ
心底悪いヤツじゃねぇ お前はただ・・・
ただ・・・
友達が欲しかっただけ・・なんだ
引用:賭博堕天録カイジ
「和也編」・「ワン・ポーカー編」の主役とも言える和也というキャラを描き切った。「ワン・ポーカー編」とはなんだったのか、それがその一つの答えになるだろう。
まだ「和也編」の考察をご覧になってない方はこちらから。
今まさに、ワンポーカー編を読み終えた余韻を残しつつの感想で、お酒も入っているので支離滅裂になるかもしれませんがその辺はスルーして頂きたく。
まず、こちらの感想と考察読ませて頂きました。
素晴らしかったです。
黒服並みに賛辞の言葉をかけたくなりました。
そして、ワンポーカー編に対して批判的な意見が多いのだという事にショックを受けました。
残念だった点を先に挙げると、ここにも書いていたように、最後の救出が、たしかに「ん?いけんのこれ?」という所。
あとは、和也がイカサマを仕掛けるタイミングですかね。
多分これが批判的な意見の元になっているのではないかと思います。
グニャグニャなっていないで、やるならもっと早くやりゃいいじゃん、と。
誤解を恐れず加えて言うならば、和也のイカサマが予備のカードを用意していただけ、という点でしょうか。
銀と金を読んでいた身としては、カードの中身が筒抜けになっているというイカサマもあるかもという発想に至り、同じように感じた方もいるのではと思った次第です。
このイカサマは無粋なので、無くて本当に良かったと思いますが、最後の勝負所で和也が自信満々でレイズを仕掛けてきた時に、手札が見られているのでは?という疑念が一瞬頭をよぎりました。
ただ、読み終えて思い返してみるとやはり和也はその手のイカサマを仕込まないな、とあらためて思うわけですが。
イカサマが行われた時点であらゆるイカサマを想定した描写がなかったのは少し残念だったなという程度です。
はっきり言って自分は、このワンポーカー編が大のお気に入りです。
細かく書くと大学の卒業論文並みに書けそうなのでてきとーに書かせて頂きます。頭の中を整理したいだけなのかもしれません。
こちらにも書いていらっしゃったように、和也がイカサマをする事に対する説明は本当にその通りだと思います。イカサマをする事自体は和也のキャラを一切損ねていないと考えます。
ワンポーカー編の中の言葉にあったように、2つの考え方がせめぎ合うのが人間ですから。
特に和也みたいな純粋であり歪んだ人間の思考ですしね。
Eカードとの対比はナンセンスだと思います。
作中で描かれているのは、あくまで片側から(絡め取られている側)の思考のみ。それに対して仕掛けた側の思考を考えながら読むと、本当に異常な熱気を帯びてきます。
作中ではあまり語られませんが、ポーカーフェイスで霧の中、そこに想いを馳せる事こそワンポーカー編の醍醐味があると思います。
今までは如何に相手のイカサマや策略を見抜き、反撃するか?にカタルシスをおいていましたが、今回は最後のイカサマが出るまでは、純粋な思考の読み合いでした。それが楽しかったですし、だからこそイカサマの要素が混じる事で今まで通りの展開になってしまったというガッカリ感があったかもしれません。
色々すっ飛ばして、結論として何が良かったかというと、カイジが和也を救いたいと渇望し、福本さんもそれに応えた、あるいは逆で、福本さんが和也を救いたいと渇望しカイジがそれに応えたのかもしれませんが、そのはっきりとした意思。これが否が応でも伝わってきたのがワンポーカー編が好きな最たる理由です。
自分はワンポーカー編を傑作と思っています。
個人的に和也が好きになってしまったからです。
そして、そういう風に仕向けたであろう福本さんも和也が好きなんだろうなと思ったからです。
マンガです。作り物です。
科学的な考察や設定なんかクソ喰らえです。
救出についてはツッコミは入れません。
ただ、作者が伝えたい事にどれだけの熱量を込められるか、それがどれだけの鋭さをもって読んだ者に届くか。
その点においてワンポーカー編は他のカイジシリーズの熱量をわずかに上回っていたと感じます。
もちろんそこに物語としてのヒロイズム、ある種の青臭さや出来過ぎているといった感想はあるのですが、それでも、それを踏まえてでも、込められたこの意思こそが名作を形作る所以だと思うわけです。
話の流れとして和也が生き残るのは甘過ぎる、等色々な意見があると思いますが、自分は福本さんが作るカイジの話はこれでいいのではないか、と思います。
だってそうしたかったんだから。
いや、自分がそう思っているだけなので、多分そうしたかったんだと思うから、が正しいですかね。
熱量こそがカイジの魅力だと思っており、その点では抜群であったと思います。
P.S
和也って巨人の星の花形や、あしたのジョーのカーロスやホセみたいな、素晴らしいライバルキャラですよね。カイジと表裏一体な所がたまりません。
本当に良いキャラ。
ディスクさん
熱く情熱のこもったコメント、誠にありがとうございます。
このようなコメントをいただけるのは大変嬉しく感じています。
というのもファンの多いカイジという作品ですら、同じファンの方と熱く語り合う機会はなかなか恵まれないからです。
>ワンポーカー編に対して批判的な意見が多いのだという事にショックを受けました。
世間の評価はあまり気にする必要はないのかもしれませんね。Amazonにおいてはネタレビューも多いですし、
否定派が声高に主張しているせいで、必要以上に低評価に晒されている気がします。
もちろん批判に足る要因があるのも事実ではありますが。
>あとは、和也がイカサマを仕掛けるタイミングですかね。
>多分これが批判的な意見の元になっているのではないかと思います。
おっしゃる通りだと思います。
散々長々とガチで勝負しておいて、結局イカサマすんのかい!
というツッコミは週刊連載で読んでいた人の多くが感じたのではないでしょうか。
イカサマの数・種類に関しては、ガチで勝負するのが前提であること・本来であれば和也にしか開くことが出来ない隠しBOXであることを考えれば、それほど多くのイカサマは必要ないと考えていたのかもしれませんね。
(24億脱出編の一巻は読まれましたか?少しだけあのイカサマの補足が描かれています)
>作中ではあまり語られませんが、ポーカーフェイスで霧の中、そこに想いを馳せる事こそワンポーカー編の醍醐味があると思います。
この時の和也の思惑・心理状況は非常に興味深いですよね。
真剣勝負で勝つことを是としながらも、敗北への焦燥感やイカサマを使うことへの葛藤、和也の中で様々な感情が交錯していたように感じます。そしてある種の諦観のような微笑を浮かべた姿も非常に印象的でした。
>色々すっ飛ばして、結論として何が良かったかというと、カイジが和也を救いたいと渇望し、福本さんもそれに応えた、(中略)これが否が応でも伝わってきたのがワンポーカー編が好きな最たる理由です。
カイジ作品の仇役は非常に魅了的なキャラクターが多いですが、やはりこの和也だけはカイジにとっても別格な存在ですね。
自分が生き延びるために智謀策略を巡らし、人を蹴落としてきた過去の仇役とは和也は全く違い、己の信念のために、生きるために戦うことを選んだ人間でした。
その心意気を認めていたからこそ、カイジは和也のイカサマに対し、失望を禁じ得なかったのも事実でしょう。
尊さ・信念を貫き通せなかったものが敗れた。これは福本漫画の哲学の一つだと思います。
>熱量こそがカイジの魅力だと思っており、その点では抜群であったと思います。
全く同感です。
僕は福本先生は野球選手で例えるなら「夢を見させてくれる4番バッター」だと常々思っています。
普段凡打や三振ばかりだったとしても、最高の瞬間で超特大場外ホームランを打ってくれる。そんな漫画家だと。
もしくは長いタメがあることで、サビの爆発が最高に快感になるトランス音楽に例えてもいいかもしれません。
「ワンポーカー編」で言えば、カイジの「ただ・・・友達が欲しかっただけ・・なんだ」というセリフ、そしてそれに対する和也の反応。このシーンは僕にとってはまさに超特大ホームランのような演出であり、それだけでこの作品には価値があったと思えてしまうのです。
僕は「和也編」が非常に大好きなで、チャンの回想・チャン、マリオのギリギリでの救出シーン、これらの熱量あるシーンが読めたことを考えれば、多少の停滞や、微妙なオチには目を瞑れてしまうのです。
もちろん、Eカード・チンチロ・沼のあの爽快感ある幕切れも非常に素晴らしいのですが。
カイジを「人間」の観点で見るのか、「ギャンブル」の観点で見るのか、読者の観点によって各シリーズの評価が大きく変わってしまうのだと思います。
熱いご感想に感銘を受け、つい長々と語ってしまいました。
ぜひディスクさんのような熱量ある方とカイジについてこれからも語り合いたいものです。
そんな評価が低かったのですね…床屋に通うたびに一巻ずつ読んでいくのが楽しみの、続きを読みたくなる漫画だと思っていますが…。
和也は身勝手なずるいわがままなとても嫌な男だと墓で契約書を交わすときの冒頭から3人のゲームの最後まで、余すころなく描写されているのでショックでもないのですが、和也を信じていたファンたちはどこでみんなそんな「真っすぐな男」と刷り込みがあったんだろうと思います。
和也の気持ちは「正当に勝負したい!」と表現されていますが、提案は後出しジャンケンばかりで…
ってことは、和也の純粋な部分に惹かれた読者の後味の悪い読後感や低評価って、正に福本作品に引き込まれて和也にリアルな人格を感じた故の最高の賛辞なのかも…。
今、漫画BANG!で無料公開されているので読んでました。面白かったです。
福本さんの漫画の素晴らしさは、ギャンブルを通じて人間の奥底を綺麗事抜きで描写するところだと思います。銀と金のポーカーも大好きです。
和也の、真剣勝負がしたい、しかし万が一にも負けたくはないというせめぎ合いの中で、あのような割と控えめなイカサマが用意され、追い詰められてから真剣勝負をやむなく捨ててイカサマを使うことにしたのは、自分はおかしくないと感じました。
ただ、話全体の長さからすれば、カイジがイカサマをあっさり見破りすぎでは?という気もします。イカサマを疑って、何とか対処して、発見して逆手にとって勝つまでのカイジの苦労、心理をもっと見たかったです。
最後のブルーシートが物理法則的に無理、とかいうのは漫画読みとして野暮ってものでしょう。
前半がやはり長過ぎるかと、カイジのブラフうんぬんもポーカーじゃ普通のことだし