福本伸行と親交のある漫画家、西原理恵子に「とんちきヘルメット編」と揶揄される賭博堕天録カイジの和也編、皆さんはどう評価しているだろうか?
和也編は主役のカイジがギャンブルをしないという異例の展開で、評価が割れるのも無理はないシリーズだった。
ストーリーにおいても和也の小説「愛よりも剣」を追体験させられた挙句、アジア3人組という新キャラの登場で
「なんなんだよこいつら!! 興味ねぇから和也とさっさとギャンブルしてくれ!!」
なんて肩透かしを食う展開だったこともあったせいか、結構な不評具合。
そんな批判ももちろん理解できるけど、実は俺としては「和也編」は結構好みだったりする。
カイジシリーズにおいても賛否両論ある「和也編」とは一体なんだったのか?
カイジファンのみなさん、少しの間お付き合いください。
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そもそもカイジの魅力・面白さとは
「和也編」の考察をする前に確認したいのが、
そもそもカイジの面白さって何なのか?ということ。
その答えは人それぞれ違うだろうけど個人的には、
①独創的なゲーム性
②ゲームによって浮かびあがる人間ドラマがどう描かれているか
この2つがカイジの面白さの屋台骨になっていると思う。
2つの要素はどのシリーズにもあるが、各ゲームによって要素の比率が8:2なのか、5:5なのか、もしくは2:8だったりする。
そしてどの比率で描かれているゲームが面白いと感じるかが読者の好みによって決まる。
今までのゲームで分類するなら大体こんな感じになるだろう。
◉ゲーム性重視
チンチロ・沼・17歩
限定じゃんけん・Eカード
鉄骨渡り・ティッシュくじ引き
一般的に評価の高い「限定じゃんけん」・「Eカード」・「チンチロ」・「沼」は非常にゲーム自体の魅力が高く、読んでいる読者を飽きさせずに惹きつけることに成功している。
鉄骨渡りのようにシンプルなゲームになるほど人間ドラマ中心の作風になりやすく、ゲーム性が薄いシリーズの方が評価が低くなる傾向がある。
では「和也編」がどのカテゴリーに収まるのかといえば、間違いなく「人間ドラマ重視」の作品になるだろう。
恐らく「チンチロ」・「沼」が好きな人ほど「和也編」は好みではなく、逆に「鉄骨渡り」が好きな人は「和也編」も高評価の人が多いのではないだろうか。
ではここからは「ゲーム性」と「人間ドラマ」の観点から「和也編」の内容について考察していく。
ちなみに冒頭の「愛よりも剣」は割愛して、友情確認ゲーム、「救出」をベースにして考察することにする。
和也編のゲーム性考察
「和也編」のメインのゲームはアジア3人組による友情確認ゲーム、通称「救出」。
結論からいえばゲームとしての魅力はかなり微妙だったと言わざるを得ない。
カイジ作品のゲームの肝はカイジがいかに勝負の中で相手を出し抜き、勝利をモノにするのかという点に尽きる。
しかし「救出」においては、アジア3人組が勝負の攻略法として編み出したのは「以心伝心システム」と呼ばれるテクニックのみ。
しかもそれだけでゲームの攻略が可能になってしまう非常にシンプルで深みのないもので、ゲーム自体に魅力のあるものではなかった。
さらにゲームの途中で和也の不正な介入が幾度となく繰り返される点も、ゲームの価値をより薄くした。
前シリーズの「17歩」においてカイジは和也のことを「どこかフェアー」な男であり、見ようによっては信頼のできる男であると評価しているが、「救出」における和也のゲームへの介入はその評価に似つかわしくなく、
「なんだよ、和也のこと好きだったのにがっかりだよ」
なんて感情を読者が抱いてしまうのもゲームに興ざめする原因になった。
ただこの和也の介入に関しては、和也自身も「本当はこんな細工はしたくなかったんだが・・・」と吐露していたように本位ではなかった。
それでも介入してしまった理由には和也の思い込み、いや、信念がそうさせたと言ってもいいだろう。
この「救出」において、カイジと和也は直接戦っているわけではないが、「真の友情は存在するのか、しないのか?」という双方の主張を確かめるための勝負だと捉えることもできる。
和也にしてみれば友情なんてそもそも存在しないものであり、それを証明するのが「救出」というゲームの役割。
和也にとって友情は存在しない。だからゲーム内において成立することは絶対にあり得ない。それにも関わらず友情が成立してしまっているのであれば、そこには必ず「裏」がある。
その裏を「光山がゲーム開始前にチャンとマリオに飛ばした檄」だと解釈した和也からしてみれば、先に不正をしたのはアジア3人組の方であり、正当にゲームを行うためには不本意だが介入するしかなかった。
引用:賭博堕天録カイジ
和也としては介入は自分がこのゲームに勝つためではなく、正当なゲームへと修正するための致し方ない処置だったことは偽りのない本音だろう。
しかし読者からしてみれば連載時にここまで推察するのは土台無理な話で、興ざめするシーンだったのは間違いない。
「和也編」は全10巻構成。4巻目以降は和也だけではなく、カイジも含め様々な介入が発生している。
つまり4巻以降はゲーム外の外的要因がアジア3人組を苦しめる展開になっており、ゲームとしては序盤ですでに破綻してしまっていた。
ゲームの結末としても裏切りを行なった光山が特に痛い目に合うわけでもなく大金を手にし、そそくさと何事もなかったかのように逃げおおせるという何とも腑に落ちないオチだった。
もっとも当時から週刊連載で追っていた身としては、これ以上光山の話を引っ張られていたらそれこそ拷問だったので、あれは懸命な処理だったとは思う。
つまるところ、この「救出」はゲームそのものに深みがないため、和也の介入がなければストーリーが成り立たない作品だった。
ゲームとしての面白さで言えば、シリーズの中でかなり下に位置するのは確かだろう。
「和也編」人間ドラマの考察
ゲームとしてみると非常に残念なところが多い「和也編」ですが、和也編の真骨頂はゲームそのものではなく、福本伸行の描く哲学とも呼べる人間ドラマにこそあり。淡白なゲーム性とは裏腹に人間の描写はかなり濃密。
福本伸行がこの世に生を受けてから、誕生以来継ぎ足しで作った秘伝のタレをベースにした濃厚哲学スープに、シンプルなゲーム性という麺がトッピングで乗ってる感じ。
通はスープで味を図れ!!と言わんばかりの頑固オヤジが作ったラーメンのような作品。それが「和也編」なのだ。
チャンとマリオの回想シーンが普通に泣ける
まず兎にも角にも登場人物のチャンとマリオの回想シーンが本当に素晴らしい。
マリオのフィリピンの貧困窟であるスカベンジャーでの兄とのエピソードもいいが、チャンの回想は控えめに言って、神。
中国の一人っ子政策の中、次男として産まれたチャンは、無国籍の人間として一生労働するために他人に飼われる人生しかなかった。
そんな絶望的な環境の中で、いつか訪れるかもしれない可能性のためにチャンは必死に耐え忍んだ。
束の間の休日、チャンの前にあったのは、普段食べることなど夢のまた夢である肉まんと、ボロボロの日本語教材。
必ず手に入る久しぶりの食欲の快楽と、手にしたところであるかないかもわからない未来の可能性。そのどちらを選ぶべきか。
このチャンの迷いと決断に俺は思わず口を噛み締め、涙を堪えた。
迷った!!
迷ったよ僕は・・・・!でも・・・・!
でも・・・・!ても僕は
掴んだ!あるかないかわからない
未来を・・・・!©️賭博堕天録カイジ
引用:賭博堕天録カイジ
まさか肉まんの表現に涙を誘われるとは思ってもみなかったよ・・・・!! 俺は・・・・!!
福本伸行の奇才っぷりがここに凝縮されてる。そう言っても過言ではない。
13回戦のチャン・14回戦のマリオの決断
二人の回想を終え、肝心のゲーム内に入ると、その心情描写にはまさに圧巻。福本伸行の人生哲学がこの作品には詰まってる。
和也の介入が発生した11回戦、その影響を受け「マリオのバグ」が発生した12回戦、そして次の13回戦、救出者はチャン。
この13回戦においてもマリオのバグは収まることはなく、3人は命の危機に晒される
チャンの機転により、どうにか光山とマリオの死は免れたが、チャンは逡巡する。
この13回戦、クリアして14回戦に繋げて本当にいいのか?
救っていいのか・・・・?
もし救ってしまってその後・・・・その後・・・・・・・・
仮に自分が救ったとして、次の14回戦、果たして二人は自分を救ってくれるだろうか?
ここを逃す・・ってことは
それは命を捨てる・・ってことじゃないのか?
引用:賭博堕天録カイジ
チャンの心に恐怖と不安が巣食い始める。
「友が自分を裏切り、殺そうとするのではないか?」という恐怖。
ただチャンはそんな疑念を抱かせることがこのゲームの悪魔じみた本質であることを見抜いた。
幻だ!
今よぎった
真っ黒な未来・・・・・・・・・・!その未来が
まるで避けられない運命みたいに
この身を包むけどそれは
間違い!!決まってなどいない
未来は・・・・・・!
白紙!!
引用:賭博堕天録カイジ
引用:賭博堕天録カイジ
チャンは自分を見失わなかった。
未来は決まっているのではなく、自分自身が見つけ、勝ち取るものであることを。
自身が逆境に屈することなく未来を掴み取り、日本にやってきたのと同じように。
この「和也編」ではチャンを通して“人間の持つ強さ”が描かれている。そして同じ境遇であるマリオを通して描かれているのは、“人間の持つ弱さ”だった。
マリオはチャンと境遇こそ近いが、チャンと比べるとどこか頼りなく、弱々しい。
日本にやってこれたのも尊い兄の存在のおかげであり、己の力で未来を掴み取ったのではない。
チャンが悪魔を払いのけて、仲間の命を繋いだ後の14回戦。
次の救出者はそのマリオ。マリオもまたこの悪魔じみた葛藤に苛まれることになる。
救いたいっ!
本当は救いたい!でも・・・・・・・・
もし救ったら・・・次・・・・
二人は?
二人は?
二人は?救ってくれるだろうか?
もしかしたら・・・・
もしかしたら!
もしかしたら!引用:賭博堕天録カイジ
マリオは悩んだ。
それでもどうにか勇気を奮い立たせ、救出ボタンの前に立った。しかしボタンを押す覚悟がない。
きっとマリオは本当は押せなかっただろう。
今は亡き、尊い兄の存在が心になければ。
引用:賭博堕天録カイジ
二人は信じた。
チャンは自分の意思で掴み取ってきた未来を。
マリオは自分を支えてくれた尊い兄を。
友情確認ゲームとは何だったのか。
13・14回戦、死の恐怖に打ち克ちながらゲームをクリアした二人を見て、和也は困惑した。
バカッ!!
あり得ねぇだろっ!なぜ押す!!
なぜ押せる?死ぬっ・・・・・・!
次に回したら死ぬっ・・・・・・!死ぬっていうのに・・・・・・・・・・・・!
引用:賭博堕天録カイジ
引用:賭博堕天録カイジ
和也にとって友情なんてものは存在しない。和也の言葉を借りれば友情は「似非」であり「虚仮」でしかない。そんなものに自分の命を賭けるなんてありえない。
いや、あってはいけないのだ。
和也にとって、友情が存在することは許されなかった
もし友情が本当に存在するのなら、自分の価値観が間違っていることになる。
つまり他者からの信頼・愛情を獲得できないのは、和也自身のせいであることを認めざるを得なくなる。
その事実は和也にとって決して受け入れられるものではなかった。
だからこそ和也は、この二人の決断・意思を「バカだからこの危機を理解できない」と理由づけることでしか自己の理性を保てなかった。
さらに和也が二人の行動を理解できないのにはもう一つ原因があった。
このゲームの命題は「真実の友情は存在するのか否か?」だが、実際のところ「救出」は単なる友情を確認するゲームにはとどまらなかった。
恐らく「救出」の真の命題は単なる友情の確認ではなく「他者を通じて、自分の信念を貫き通すことができるか?」だ。
「救出」ゲームは友情だけではなく、友情の先に映る自分自身が問われている。
自分と友の友情を信じるというのは、「“友を信じる”という己の信念を貫き通すこと」だ。
チャンとマリオの決断には友を救いたいという気持ちだけではなく、自分が持っている信念・正しさを信じる強さがあった。
もしかしたら自分は友に裏切られるかもしれない。
それでも。
それでも自分が信じた友情を信じたい。
なぜならそれが信念であり、彼らの矜持だったからだ。
しかしもう一人の友であるはずの光山は、次の14回戦において「チャンが信用できない」という理由で二人の救出を放棄した。
実際のところ光山の主張は誤りで、光山はチャンではなく自分を信じられなかったのだ。
いわば「“命を賭してまで友を信じる”という自分の信念」を信じられなかったのだ。
もっとも和也からしてみれば、そもそも信じるべき友情というものが存在しない以上、2人の信念を理解することはできなかっただろう。
人は生まれながらにして善か悪か
アジア3人組が「救出」によって自分の信念を問われている一方で、カイジと和也の間で問われていたのも「真実の友情が存在するか?」ではなく「人は生まれながらにして悪か、それとも善か?」という問いだった。
性悪説を地で行く和也にとってみれば、人は生まれながらにして悪であり、悪を土台にして似非の友情・愛情が乗っかっているに過ぎない。
だから少し負荷を与えれば化けの皮を現すと信じており、それを証明するのが「救出」というゲームだ。
しかしカイジは人間とは「本当は誰かを救いたいと願う生き物」だと信じている。
それは賭博黙示録の人間競馬「ブレイブメンロード」のワンシーンでも描かれている。
押さなければ押される・・・・・・!
けど・・・・・・・・・・・・・・・押さないっ・・・・・・!
押さない・・・・・・・・
押さない・・・・・・・・押さないんだっ・・・・!
引用:賭博黙示録カイジ
人の根底には誰かを救いたい、優しくありたいと願う心がある。しかしそれはあまりにもか細く、心もとない。でもカイジは確かに在ると信じているのだ。
カイジと和也、二人が今まで味わってきた苦難は決して相対するものではなく、共に他人に裏切られ、深く傷ついてきた。
和也はそこで他人と寄り添うことを諦めたが、カイジは人を信じることを諦めてはいない。
和也はカイジの価値観を“根っこが腐ってる”と評価を下しているのだが、果たして本当に腐っているのはどちらなのか。
それがこの「和也編」の救出ゲームにおいて描かれた二人の価値観の対立であり、二人の信念は次編の「ワンポーカー編」で相見えることになる。
できればもう一度読み返してほしい。
「和也編」のゲーム性・人間ドラマの両面から考察をしてみたのですが、いかがでしょうか。少しでも「和也編」の再考に役立てば幸いです。
連載でしか「和也編」追っていなかった人は、もう一度単行本で全編通して通読してみることをお勧めします。
週刊連載で福本作品を読んでいると、宿命とも言えるのが、中だるみと無駄な引き伸ばし感のオンパレード。さらに休載まで挟まれるので、もはや苦行でしかない。
そんな苦行状態だと、なかなか冷静に作品を判断できなくなるので、連載が終わった後の一気読みもお勧めです。
「和也編」では美心からお小遣いをもらうカイジという最高に面白いシーンが見れるので、読み返して決して損はしませんよ!!
引用:賭博堕天録カイジ
カイジ・・・そりゃ坂崎のおっちゃんも追い出すよ・・・
福本先生の怖いのが、この美心のシーンをウケ狙いで書いてるのか、あくまでもストーリーの一部として自然に書いてるのかがわからないところ。
個人的にはガチで書いてるのが面白くなっちゃってる説を推してるんですが。
そして「和也編」何より敵役の和也が最高に魅力的。
和きゅんの魅力についてはこちらの記事でお楽しみください。
講談社さん、次回のスピンオフ作の主役は是非とも和きゅんでお願いします!!
続編のワンポーカー編の考察もぜひご覧ください!!
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